民進党広島県第4区総支部長
民進党広島県連副代表

民心党

活動報告詳細

社会と自分のキョリ〜社会との繋がりは人との繋がりであり、自分との繋がりそのもの〜(随想)

IMG_9307

社会に関心を持つようになったきっかけを記します。10代後半のことです。
それは決して綺麗で整った過程ではなく、凸凹道から辿り着いたものでした。

 

目に見えない社会通念への疑念
「誰が決めたルールかわからないものに、黙って従うことに違和感を覚えた」
私が生まれ育った環境は所謂都会的なものとは違って、昔からの集落文化が色濃く残る地域であり、家庭でした。当時は、地域や学校に当たり前に存在する「こうしなければいけない空気」が正直窮屈と感じたのです。地方から都市部へ出て行く若い人は、一番にはより幅広い人間関係の中で得られる人間観や好奇心を求めたり、都市部にしかない仕事、雇用現場を求めたりと都市部の魅力は地方にはない多様性があるということが大きな理由として挙げられています。特に、若年世代には都市の発展や流行が気になるものです。その一方で私が感じたような、地方にある昔からの社会通念を窮屈に感じ出て行く人も少なくありません。表向きは、仕事がないからとしたとしても、です。社会のルール、社会通念、もっと言えば税金、労働制度、年金制度等々は誰が決めているのか、無知な私にとっては経験者から言われる一方的な情報に違和感を覚えたのです。「勉強して、いい大学に入って、いい会社に就職したら人生ハッピーになれる神話」への疑いを持ったのもこの頃です。

 

野に放たれた孤独と学び
私は高校時代に一時期、通学を止めて、家を出て、一人で生活した時期があります。それは強烈な経験として今に生きています。正確に言えば、親から勘当を受けました。学費を出してもらっておきながら、甘ったれた未熟な自分の考えに親は怒り心頭です。今思えば、ただの粋がりだったと思いますが、その期間に何のために勉強するのか、いまは何に時間を使いたいのか、もっと言えば何をするために生まれてきたのか、一人で野に放たれた孤独と無力感に打ちひしがれ真剣に考えました。

 

それは、短い期間でしたが多くのことを自分一人で考え悩んだ長い時間でした。得られたことはたくさんあります。例えば、友達や学校の先生、親も一人の人間であり間違うこともあると自他を分別して客観視できたこと。そして、一方的に自分が考えることはかなりの確率で思い違いや思い上がりが多いのだと気がついたこと。無知は自分を危険にさらすリスクを格段に高めること、お金がないと1日で行動できる範囲も限られてしまうこと、母親の涙を見たこと・・・等々。野に放たれると、現実の冷たさも周囲の温かさも感じるものです。自分の人生や自分の生まれた本当の意味を見出したいと考えるようになりました。そのためには、自分に与えられた機会や能力を“全う”させてやるということが大事だと考えるようになりました。

 

結果、社会に影響力を持つためには、権利を獲得しなければならないし、そのためには義務を果たさなければいけないことも体で感じ取ることができました。振り返れば、破天荒に格好よく生きたいと思いながらも、いつも周りの人に助けられてばかりでした。自由を求めながらも孤独な自由に喜びや嬉しさはなかったのです。他人の迷惑もお互いにシェアしながらお互い様でなければ生きづらくなるばかりでした。社会とのつながりは人とのつながりであり、自分とのつながりそのものでした。泣いて喜んでくれる人や怒ってくれる人たちを有難いと思えるようになりました。親が先に死んだ時に、一人でも生きて行く力をつけるには多くの知識と学びが必要だと理解しました。

 

【10代からの教訓】
知識を得るとは 自分を守ること
知識を得ることは 生きていく上で武器を備えること
知識が組み合わさり思考が始まる 思考が始まると学ぶことを知る
学びは未知の自分との出会い 未知の自分との遭遇は好奇心を掻き立てる
好奇心は行動の源泉 行動は思考させる
学びのサイクルは自分への問いかけ
学びとは己を知る 学びとは何を為すべきかを悟ること

 

政治に関わる人間であろうがなかろうが、
未熟な自分を認める謙虚さと自分に与えられた機会や能力を“全う”させてやる心身の一致にこれからも挑戦を続けていきたいと考えています。

 

えびす圭二の初志については下記をご参照ください。
動画( https://www.youtube.com/watch?v=rzH6oxpAu90 )

スクリーンショット 2016-07-08 1.13.47